保険の歴史を、ホラー小説黒い家や、浦沢直樹のMASTERキートンから学ぶ

保険のことについて書かれたエンタメ作品は、あまり保険の知識が無くても面白いですよね。 

目次

保険を題材にしたエンタメ2作品 

 

『黒い家』は、妖怪や超能力の力を借りずに真の恐怖を書いた、ホラー小説の傑作です。

大手生命保険会社で保険金査定業務担当の主人公が、保険加入者からの呼び出しを受け、家を訪問。その家で、保険加入者の妻の連れ子(被保険者)が首を吊った状態で死亡しているのを発見。その子には、500万円もの死亡保険金がかけられていたのです。

保険加入者は、故意によるものと思われる怪我や高度障害で給付金や保険金請求をしていたことから、主人公は妻の連れ子が保険加入者に殺されたのではいかと疑念を抱きます。

しかし、真の黒幕は保険契約者ではなく、周囲を嗅ぎまわる主人公は命の危険に晒されていくのです。

 

冷戦終結前後の社会情勢、考古学、そして平賀家をめぐるドラマを描いた『MASTERキートン』。
主人公平賀=キートン・太一は3つの顔を持っています。

1つめの顔:考古学者
2つめの顔:元SAS(イギリス陸軍所属の特殊作戦部隊)
3つめの顔:大手保険会社ロイズの下請け「保険調査員」(オプ=探偵)。

※ロイズとは?
ロイズ保険組合は、ブローカーとアンダーライター(保険引受業者)を会員とする自治組織。普通の保険会社違い、ロイズ保険組合自体が保険引受業務を行ってはいなません。ロイズ保険組合はロイズ保険ビルを所有し、取引の場(ルーム)と保険引き受け業務に関する事務処理サービスを会員に提供するために存在しています。

ロイズは、海上保険から発展。世界中にエージェントを置き、船舶事故の情報もいち早く入手していました。また、保険の対象となる船舶の性能や運用年数、船体修理や改造履歴などの情報を集めていました。

ロイズの情報収集能力は、一説には、アメリカ軍やロシア軍の諜報部組織を超えるともいわれ、中国の造船所の建造状況や、ペルシャ湾を現在通過中の商船のリストなども持っているといわれています。

『MASTERキートン』では、主人公の太一が、時に危険な「保険調査員」の仕事で、イギリス陸軍所属の特殊作戦部隊仕込みの能力を発揮して切り抜け生活費と考古学の研究費用を稼ぎ、ドナウ川流域にヨーロッパ文明の起源があるという説を学会に発表するため発掘にいそしむ姿を見ることができます。また、考古学というとロマンを感じますが、発掘調査隊や発掘品にも保険がかけられているのも現実的で面白いです。

紀元前3200年ごろが、保険の起源

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保険の歴史というと、コロンブスが活躍した大航海時代、船員のために保険ができたと言われていますが、それは生命保険の話。

保険の起源は、古代オリエント時代(紀元前3200年)にあると言われています。

古代オリエントでは、貿易がさかんでした。乳香や没薬などを取引すれば、莫大な利益を得ることができましたが、自然の猛威や盗賊・海賊などの危険も付きまとい、せっかくの品も目的の値に届けることができなず、莫大な借金を背負うこともありました。

商人たちは、隊を分けたり、ダウ船(アラビア海沿岸の伝統的な木造帆船)を分散させリスクの分散を図っていました。

その他、損失補填用の資金借入が行われていました。これが保険の起源と言われています。

ただし、

・金利:10%

・担保:人質

でした。

 

リスクに備える保険のはずが、保険加入してもハイリスクということで、バビロニアの通商自体が衰退。

紀元前1800年ごろ 海上保険の原型ができる

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 紀元前1800年頃、「冒険貸借」という海上保険の原型ができあがります。この「冒険貸借」は、地中海商人によってはじめられた制度です。

船主・荷主は船や積み荷を担保に金融業者から借金。

無事に帰港できた場合 → 利息を付けて返済

故で船や積み荷が失われた場合 → 返済しない。

これが「海上保険」の原型になりました。

保険制度の発展と衰退

保険制度は、貿易が盛んになるにつれて発展していきますが、ローマ帝国の滅亡と地中海貿易の衰退とともに、保険制度も減退。

そして、さらに保険が衰退する事件が起こります。利息禁止令です。

利息禁止令:1230年、教皇グレゴリー9世によって発令。利息を取って儲けることはキリスト教の教えに反するというもの。この利息禁止令により「冒険貸借」の制度は終わります。

中世イタリア 「冒険貸借」が発展する

 

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十字軍の遠征が活発化し、「冒険貸借」は「仮装売買契約」に発展。

ジェノバ :1373年「海上保険証券」が発券。

北海:ハンザ同盟(北ドイツを中心にバルト海沿岸地域の貿易を独占し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配した都市同盟)災害共済の制度が制定。

フランドル地方ブリュージュ:1310年頃 海上保険取引所の登場。

イギリス:16世紀 私掠船(しげいせん)の登場。戦争状態の国の船を攻撃しその船や積み荷を奪う許可を得た個人の船のこと。

海賊行為での怪我や死亡事故に保険金を出したため、「私掠船」は大活躍。イギリスはスペインを破り、世界の海を制し大英帝国に発展。

ようやくここで『MASTERキートン』のロイズ保険が登場

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イギリス:17世紀 ロンドン港近くのエドワード・ロイドが経営するコーヒーハウスでは、船主など海上輸送の関係者が立ち寄って情報交換をしていました。

ロイドは1696年海運貿易情報の新聞を発行。すると、ロイドのコーヒーハウスには保険引受業者がたくさん来て、保険引受が行われるようになりました。


自動車保険:1896年に登場。ベンツが自動車を発明した翌年のこと。

日本の生命保険はいつから?

横浜:1859年。外国の保険会社が、損害保険を始める。

1867年、福沢諭吉が火災保険を紹介。
1879年、日本最初の海上保険会社(東京海上)が営業を開始。1888年には最初の火災保険会社(安田火災:現損保ジャパン)が営業を開始。

 

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